私の証
スティーブ・フレンツ(代表)

私はカナダのカルガリーという地方で、クリスチャンの両親のもとに育ちました。しかし、個人的にイエスを知り、イエスを自分の人生の王として受け入れたのは、17歳になって初めてのことでした。その時から、私の人生は神との冒険の中を歩み、神をたたえ、隣人に仕えるものと変わりました。
私は大工で、手を使って作業をする事が好きです。しかし手を使った作業というのは、単なる私の心の中で起こっていることの拡張にすぎません。私は、自分の霊、たましいと、そしてこの体を用い、イエス・キリストという人物を通して神の国をあらわしたいと願っています。
私は、イエスの名を自分の母語で聞いたことのない人に対して、ずっと思いがありました。だから、山中湖に住み、そしてこの地域の人々にイエスの愛と、そしてイエスという人物について伝えたいというのが私の願いです。 神様の御名がこの地域で知られるものとなることを、またそのために私たち自身が用いられる器となり、神様が私たちを用いてくださることを信じています。
私たちは、人々が神様に完全に信頼して生きるようになることを夢見ています。妻も私も、過去に日本に住んだことがあり、トーチベアラーズ山中湖におけるミニストリーに加わり、この働きをリードするために、日本に戻ってくることをとても楽しみにしていました。私たち自身がカナダのケーパンレイ・ハーバー・バイブルスクールで学び、そこで自分たち自身の人生が変えられたという経験から、バイブルスクールというミニストリーに仕えることに対して非常に熱い思いがあります。様々なチャレンジを受け、謙遜になる姿勢を学び、主イエスをそれまでにないほど親しく知るようになりました。
日本の教会に仕えるというのも私たちの願いです。日本社会における忙しい日常から離れたこの地で、静けさのある場所をご用意したいと思っています。休息と、励ましと、物事への視野(見方)を、山中湖の美しい環境の中で提供するということは、私たちにとっての挑戦であり、また非常にわくわくすることでもあります。イエスの名があまり知られていないこの地において、私たちが地の塩、世の光として在ることができるよう、ともに祈りに覚えていただけたら幸いです。
これをお読みのあなたも、イエスの手としてまた足として、私たちの周りの人に仕えていきませんか。キリストを私たちのうちに住まわせ、そしてそれがまわりにもこぼれていくようにしたいと、そう願っています。
スティーブ・フレンツ
私は大工で、手を使って作業をする事が好きです。しかし手を使った作業というのは、単なる私の心の中で起こっていることの拡張にすぎません。私は、自分の霊、たましいと、そしてこの体を用い、イエス・キリストという人物を通して神の国をあらわしたいと願っています。
私は、イエスの名を自分の母語で聞いたことのない人に対して、ずっと思いがありました。だから、山中湖に住み、そしてこの地域の人々にイエスの愛と、そしてイエスという人物について伝えたいというのが私の願いです。 神様の御名がこの地域で知られるものとなることを、またそのために私たち自身が用いられる器となり、神様が私たちを用いてくださることを信じています。
私たちは、人々が神様に完全に信頼して生きるようになることを夢見ています。妻も私も、過去に日本に住んだことがあり、トーチベアラーズ山中湖におけるミニストリーに加わり、この働きをリードするために、日本に戻ってくることをとても楽しみにしていました。私たち自身がカナダのケーパンレイ・ハーバー・バイブルスクールで学び、そこで自分たち自身の人生が変えられたという経験から、バイブルスクールというミニストリーに仕えることに対して非常に熱い思いがあります。様々なチャレンジを受け、謙遜になる姿勢を学び、主イエスをそれまでにないほど親しく知るようになりました。
日本の教会に仕えるというのも私たちの願いです。日本社会における忙しい日常から離れたこの地で、静けさのある場所をご用意したいと思っています。休息と、励ましと、物事への視野(見方)を、山中湖の美しい環境の中で提供するということは、私たちにとっての挑戦であり、また非常にわくわくすることでもあります。イエスの名があまり知られていないこの地において、私たちが地の塩、世の光として在ることができるよう、ともに祈りに覚えていただけたら幸いです。
これをお読みのあなたも、イエスの手としてまた足として、私たちの周りの人に仕えていきませんか。キリストを私たちのうちに住まわせ、そしてそれがまわりにもこぼれていくようにしたいと、そう願っています。
スティーブ・フレンツ